#18 発表会終わり

発表会が今日終わり、無事帰還。なんとかやり切ったという思いと、無事弾き切れたという思いが今は強い。

ここで発表会に至るまでの話を少しします。お付き合い下さい。

 

その存在を知ったのは去年の10月。教室の先生から出てみてはどうかという話を持ちかけられ、最初は人前で弾くなんて自分にはできる訳が無いから無理だと断定したのだが、次第に、挑戦することは悪いことじゃないなと、また、ここでやらなければ絶対に後悔するだろうなという思いが芽生え始め、出ることを決心した。

その決心の時期がちょうど自分がクラシックピアノを興味本位で聴き始めた時期ということもあり、曲はすぐに決まった。

その曲は、パッヘルベル作曲、「カノン」。耳にしたことがある人も多いのではないか。

一年ちょっとで弾くのはなかなかできるものではないそうである。(って言われた)

時間制限の関係で泣く泣く曲の一部を削りながらではあるが、練習をちまちま続ける日々を送った。特にサビは本当に苦労した。重音(片手2、3本の指を連続して動かす弾き方)なんてろくに弾いたこともないし、最初やった時はこんなの弾けるわけないやろ、としか思わなかった。ただ出来ないなりに思考、実践を積み重ねていく。勉強であれば一瞬で投げ出してスマホを弄るような過程であるが、不思議なことに受験時代のような苦難の連続、というような感覚は決してなかった。しかしまあ練習時間も違うし比較すること自体がナンセンスではある。ピアノは勉強と違って体力や神経をより濃い密度で使うので疲労が溜まりやすくやればやるほど上手くなる、というわけでもないからである。

そんなこんなで迎えた本番、胸を抉るほどの緊張が襲ってくる。心臓の鼓動、震える足。その緊張もあり多少の失敗はあったもののなんとか止まらずに弾くことには成功。ガッツポーズ、、、とまでは行かないが、胸を撫で下ろした。やっと終わったんだな、、、

席に戻ると、親が泣いていた。親はかなり涙もろいので多少は想定内(笑)だったが、驚愕したのは、来れなかった妹に親が本番の動画を見せたところ、妹も号泣し始めたことである。これには流石に驚いた。やっぱりやってきたことは間違ってなかったのだなあ、としみじみ感じる。音楽やってる人ってこのためにやってるのかなあと、その気持ちが多少わかったような気がした。

 

ここで、美化しすぎててつまらん、と思った方がほとんどではないか。ただ自分は、血反吐を吐くような努力は一切していない。何が言いたいかというと、自分は血反吐を吐くような努力は一切していないということ、また途方もないように見える目標は、「詰め込み型の鍛錬」ではなく「好きな気持ち」と「小さな努力の積み重ね」で実現できるのかなあ、と感じ始めている。そっちの方が楽だし、身に染みつくから。そして、好きなのであれば、何を始めるにも遅いなんてことはない、と自分は思う。実際この年齢でピアノを始める人なんて稀で、笑われるかもしれないからこそ、このことをピアノを弾くことでみんなに見せることが自分の理想であり夢です。

 

こんなしょうもないこと長々と書いてたらなんか恥ずかしくなってきた。どうかこれを見た皆さん、この記事は見なかったことにしてください。ああ恥ずい。明日家族でスノボ行くんでもう寝ますわ。